「わははははっ!」
「そんなに笑うな!バカ晴爾(せいじ)!!」
「だって、アホだろお前!?男に引き止められて遅刻寸前なんてあり得ねぇ…!」
殴ってしまいたい衝動を何とか抑えて、侑妃は目の前で笑い転げる親友を睨みつけた。
「はー…笑った、笑った…。ぶっ…くくっ…」
やっと笑い声が消えたか…。
そう思ったのも束の間、ふたたび肩をふるわせ始める晴爾。
そんな奴を呆れたように見つめ、侑妃はぱたりと机に突っ伏した。
風に揺れる木立をぼんやりと眺めている内に、
自分のいるこの空間だけが世界から切り離されたような感覚に陥った。
それこそ隣で笑っているはずの晴爾の存在さえ気にならない。
「(静かだなぁ…)」
頬に感じる机の冷たさ。
開け放した窓から入ってくる風が心地よくて、目を閉じてしまいそうになる。
「(…眠い…)」
ゆるゆると、今まさに目が閉じられようとしたその瞬間
バンッ!!
「侑妃ちゃーん!!」
「ッうひゃわっ!? 華夜(かや)?」
聞き慣れた声と共に教室のドアが盛大に開かれた。
それはもう壊れるのではないかと思うくらいものすごい音を立てて。
まだ教室にいたクラスメートたちは「何事だ!?」という表情でドアの方を見ている。
そこにはふわふわの栗色の髪を乱れさせた親友が肩で息をしながら立っていた。
「どした?何かあった?」
慌てて駆け寄る侑妃の後ろに晴爾も付いてくるのが分かった。
息を整える華夜の背をさすってやる。
「大丈夫か?」と訊ねた次の瞬間、彼女はすごい勢いでしゃべり出した。
「侑妃ちゃん、変な男に連れ去られそうになったって本当!?何もされてない!?
どこも汚されてない!?ついさっき涼子ちゃんから聞いて心配で走ってきちゃったよ!
何ですぐに私に言ってくれなかったの!?もう侑妃ちゃんのバカー!!」
ちなみに『涼子ちゃん』とは華夜の部活の友達のことだ。
「う…。だって華夜とはクラス違うし今日は終業式だったし話す機会がなかったし……」
しどろもどろになりながら侑妃はそう答える。
だが彼女のそんなささやかな言い訳もむなしく華夜はさらに大声を上げた。
「でも言ってくれなきゃ心配しちゃうでしょー!!涼子ちゃんから話を聞いたときはあまりにショックで倒れるかと思っちゃったよ!」
うわーん!侑妃ちゃんのバカー!嫌いー!でも好きだよー!!
などと、もう矛盾しまくりな事を叫びだす華夜。
背中に手をまわして自分に抱きついている可愛らしい親友。
自分にはない可愛さをもつ華夜がとても愛おしくて、侑妃は優しく微笑んだ。
「心配かけてゴメンな、華夜。ありがと」
「うぅ…侑妃ちゃん…」
その場の空気だけが、何やらドラマのワンシーンのように感じられだしたその時。
「はい。離れて」
ベリッと景気のよい音を立てて華夜が侑妃から離れる。いや、正確には離されたと言うべきか…。
これまた聞き慣れた声に侑妃は自然と苦笑を浮かべた。
「何するの、柚夜(ゆや)!」
華夜が振り返った先には華夜そっくりの少女が立っていた。
「何って、アンタが引っ付いてると侑妃が迷惑するじゃない」
「え…ッ!?侑妃ちゃん、私が引っ付いてると迷惑!?」
「いや全然(むしろ癒されてるんだけど)」
「ほら!侑妃ちゃんはそんなこと思ってないじゃない!」
「そりゃ、そんなこと堂々と言えるはずないでしょ。
侑妃、アンタがそんなだから華夜が調子に乗るの!たまにはビシッと言ってやりなさいよ!」
「"ビシッ"……?」
「っていうか柚夜の方が迷惑かけてるじゃん!今だって侑妃ちゃん困ってるし」
「私は侑妃を困らせた覚えはありません!」
「柚夜に覚えはなくても、実際に今侑妃ちゃん困ってますけど!?」
「はいはい。両者そこまで」
睨みあう2人の間に何とか体を滑り込ます。
「俺は華夜と柚夜に迷惑かけられた覚えは全くないし、まして迷惑だと思ったこともない」
「ってことで、もうケンカはおわりー」
ポンポンと2人の頭を撫で、侑妃はその存在を忘れかけていた晴爾の方を見る。
「どうした?晴爾」
ジッとこちらを見つめたままの晴爾は何やら微妙な表情をしていた。
「え…?いや、何でもない」
目があった瞬間思い切り目を逸らされてしまった。
……それが何でもない奴の行動か?
「晴爾…」
「な、なんだよ」
華夜と柚夜からはなれ、今度は晴爾に近づくと小さな声で囁いた。
『俺なんかに嫉妬しても意味がないだろう?』
一瞬ポカンとした表情を浮かべた晴爾だったが、数秒後には顔を赤く染めて叫んでいた。
「なな、な、何言ってんだよッ!!」
赤い顔の晴爾は華夜をみてさらに顔を赤くした。
つまり、晴爾は華夜のことを好きなのだ。
その華夜が侑妃に引っ付いているから、侑妃に嫉妬してしまったということなのだ。
「さ、2人とも。早く部活に戻らないと部長と副部長の顔が立たないぞ?」
一人騒いでいる晴爾をひとまず無視し、促すように2人の背中を押す。
「へ…?部活……っあぁ!!忘れてた!!」
「…やば…」
どうやら部活のことはすっかり2人の頭の中から消え去っていたらしい。
「じゃあいってくるねー!」
「練習頑張れよ〜」
ひらひらと手を振りながら走っていく2人の背中を見つめていた。
* * *
「うはあぁぁ〜…明日から夏休みかぁ……」
学校の帰り道。
晴爾と華夜、柚夜と校門の前で別れ、侑妃は閑静な住宅街を歩いていた。
住宅街と言ってもただの住宅街ではない。
『高級』という単語が付くのだ。
そう、ここは高級住宅街。普通の人と比べるとちょっとだけ生活水準の高い人が住む街。
「にしても、人の通り少ないよなぁー」
平日の昼ということもあり人の通りは少ない。
しかも侑妃が住んでいる家――現在の保護者である守代家が所有している――は小高い丘に建っており、そこに侑妃は一人で暮らしている。
「……もうすぐ、なんだね…」
足を止めて空を見上げた。
と、そのとき
「―――っ!?」
人の気配に気付いたときにはもう遅かった。
口に布を当てられ、抵抗する間もないまま意識が闇の中へと落ちていく。
朦朧とする意識の中で、侑妃は"あの時"と同じ恐怖を感じていた。
* * *
「ほら、上手くいきましたよ?」
眠ってしまった侑妃を見て女はきれいに微笑んで見せた。
笑みを向けられた男はなにやら微妙な顔をしている。
「燎さま、そのようなお顔をなさらないでください。終わりよければすべてよし、ですわ」
「……加川、これは『犯罪』というものじゃないのか?」
「だから、終わりよければすべてよし、です」
加川の有無を言わせぬ笑みに燎は黙って侑妃を抱えた。
そして、愛おしそうに侑妃を見つめる。
「さぁ、早く屋敷に戻りましょう」
「あぁ」
侑妃を腕に抱いたまま彼らは留めてあった車に乗り込んだ。
連れ去られてしまった侑妃の意識はまだ戻らない。
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