お姫さまの過去[2]
「それで、こんなところでわたしに何の話?」
こんなところ。
今はもう滅多に使用されることがない第二音楽室の準備室。
音楽室自体も、防音設備が整っているために吹奏楽部員が偶に使うことがあるらしいが、授業で使用することは全くない。
初めて入ったかも、と物珍しそうにあたりを見回しながら侑妃は尋ねた。
「あのさ、俺…姫乃の事が好きなんだ」
「え……?」
友人の思いがけない言葉に侑妃はぎょっとして藤谷を見つめた。
見つめた先の彼の瞳から彼が真剣であることがうかがえる。
その様子に侑妃は迷うように視線をさまよわせてから、
「…ごめん…わたし、藤谷の事そんな風に見られない」
泣き出しそうなほど小さな声。
侑妃は「本当にごめんなさい」と頭を下げる。
けれどいつまでたっても何の反応も示さない藤谷を不思議に思い、顔をあげて問うた。
「ふじ、たに…?」
「…んで…」
「えっ?」
「俺の何が不満なんだよ?」
「藤谷?――っきゃあッ!」
藤谷に床に押し倒され侑妃はしたたかに背中を打ち付けた。
「何でだよ、なあ姫乃!俺のどこがいけないんだよ!」
「藤谷やめてっ!」
馬乗りになった状態で藤谷は侑妃の制服に手をかける。
どうにかして藤谷を退かそうと手足をじたばたさせる侑妃は藤谷の血走った眼をみて凍りついた。
背中の痛みよりも何よりも、藤谷に対する恐怖の方が大きかった。
「俺はこんなにお前の事が好きなのに、どうしたらお前は俺のこと好きになってくれる?」
「やだぁっ…!」
抵抗する侑妃の手を片方の腕で押さえ、藤谷はもう一方の手で侑妃の制服を一枚ずつ脱がしていく。
誰か助けて!
そんな侑妃の祈りもむなしく、ついにブラウスのボタンまでもが外されてしまった。
藤谷の指が外気にさらされた侑妃の肌をなでる。
「ひっ…やめて藤谷っ」
「やだ。姫乃が俺のものになるまで、やめないよ」
狂気じみた笑みを浮かべ、彼は侑妃の胸に手をあてた。
「やだ…!誰かっ…!!」
「そんなに叫んでも無駄。ここは防音になってるからね。安心しなよ。すぐに気持ちよくなるからさ」
「いやあぁッッ!」
助けておにいちゃん!!!
ガッ
「っう…ッ」
ドサっと言う音とともに侑妃を拘束していた藤谷の腕が一瞬にして彼女から剥がれる。
藤谷が誰かに殴られたのだと侑妃は理解した。
きつく閉じていた目をゆっくりと開く。
そこには自分を守るようにして立っている親友とその幼馴染の姿があった。
「つ、ばき……神林くん…?」
「侑妃っ!」
自分の名を呟いた侑妃の小さな声を聞き取り、椿は悲鳴に近い声をあげて侑妃に駆け寄った。
「もう大丈夫だから」と侑妃に言いながら彼女の乱れた衣服を整える椿の指は微かに震えていた。
よく見ると額には汗が滲み、肩で息をしている。
わたしを、探してくれていたんだ。
椿の様子からその考えに辿り着いた侑妃は自分の体が今更ながら恐怖に震えるのがわかった。
「つばきっ…椿!!!」
「ごめん。ごめんね、侑妃…。遅くなって本当にごめん」
「椿…っこわ、かった……怖かったよぉっ…」
すがるように抱きついてきた侑妃を優しく受け止め、椿は彼女の背中を落ち着かせるようにポンポンと叩く。
自分の肩が侑妃の涙で濡れていくのを感じた。
ぎゅうっと抱きしめる腕に力を入れながら椿は再び「ごめんね、侑妃。ごめんね」と繰り返した。
「っぅ…」
「お前、自分が何したかわかってる?」
「かっ神林…!」
椿に殴られた頬を押さえ、痛さに顔をゆがめながら起き上った藤谷は頭の上から降ってきた声を聞いて青ざめた。
校内で椿の次に恐れられている神林浩人(かんばやしひろと)が腕組をして自分を見下ろしていたのだ。
一見普段と何の変りもないように見える浩人の瞳に烈火のごとく燃える怒りをみて藤谷は小さく悲鳴を上げた。
浩人は藤谷に冷たい視線を浴びせると自分の後ろにいる椿に向って言葉を放る。
「椿。お前は姫乃さんを保健室に連れて行って。俺はこいつを職員室に連れていくからさ」
「了解、ヒロ。そのまえにもう一発殴ってもいいかな?まだ殴り足りなくて」
椿はそう言って片方の手のひらにパシンッと拳を打ち付けた。
その様子を見て浩人はため息をつく。
「その気持ちはわからんでもないけど、姫乃さんの方を優先させないとでしょ」
「ちぇっ」
浩人の諭すような言葉に椿は舌打ちをし、次いで藤谷を射殺さんばかりに睨みつける。
そして未だ自分に抱きついて泣いている侑妃を支えて椿はその教室から出て行った。
その後藤谷が転校したと椿から聞かされた。
「これが、わたしの人間不信、男性恐怖症のはじまり」
黙りこくった晴爾たちを前に、侑妃は悲しそうにそうつぶやいた。
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