正夢なんて冗談じゃない!



『ずっとさ、お前だけが好きだったんだ』


小さく笑って彼は泣いた。










「――――…さいっあく」


なんという最低の朝だろう。これほどまでに最低な朝が今までにあっただろうか。否。
夢見も寝起きも最悪だ。一日の始まりがこれでは今日これからが思いやられる。

はあ、と深くため息をついて私はベッドから起き上がると、とりあえず風呂場に向かった。
こんな気分はさっさと洗い流してしまうに限る。


「うわ…泣いてるし‥」


鏡を見て思わず眉を顰める。それは、うっすらと頬に残る涙の跡。
情けない顔をした鏡の中の自分を睨んで、ばたんっと力いっぱい風呂場の戸を閉めた。


夢に以前好きだった男が出てきた。
たったそれだけのこと。
それなのにどうしてこんなに気分が悪いのか。

答えは簡単。


今もまだあいつのことを忘れられていなくて、夢の中であいつに好きだと言われた時、うれしかったからだ。


「というか、どうして今更あいつの夢なんか見るのよっ」


あいつと縁が切れたのはもう4年も昔のこと。
今になってあいつの夢を見るなんてどうかしてる。
長年丹念に手入れを施してきた傷みのない髪を思わずグシャグシャにしそうになって我に返った。危ない危ない。


「まさか、何かの予言!?…………まさかねー!そんなバカなことあるはずもなし!」


そうだ、予言だとか予知夢だとかそんなことあっていいはずがない。
これは何かの気の迷いだ。夢に出てきたのだってもしかしたら別の男だったかもしれない。



そうよ。これは何かの間違い。








朝の憂鬱な気分もお昼になるとすっかりどこかへ消え去っていた。
忙しい私にたかが夢ごときで悩んでいる暇など存在しないのだ。仕事をせねば!
と、その前に腹ごしらえ。腹が減っては仕事はできない。

今はお昼休み。
やれるだけの仕事をしていたおかげでフロアーには私一人。
この時間帯にフロアーに社員がいることはほとんどない。
皆それぞれお昼を食べに出かけているということもあるけれど、第一の理由はなんといってもうちの会社の社員食堂だろう。
うちの社員食堂のご飯は超美味で有名!それに小さな会社だから食堂には全社員が収まることができる。
人が多すぎて座れない、なんてことにはならないからお金をかけたくない社員たちには打ってつけ。
そのため、お昼時になると全フロアーから社員たちがこぞって集まるのだ。
ぐっと伸びをして凝った筋を伸ばすと体からぽきぽきと良い音が鳴る。
私は会社の制服の上からカーディガンを羽織り財布と携帯を持ってフロアーを後にした。

行先はもちろん社員食堂、ではなくて、最近会社の近くにできたイタリアンのお店。
同僚の咲子と後輩の和奈ちゃんとお昼を食べる約束をしているのだ。
二人はもう先に行って私の到着を待っている。急がなければ。
人ごみを縫いながら早足で歩いていく。


「―――ひなた」


その時喧騒の町中で私を呼ぶ声が聞こえた。
四年前まで毎日のように聴いていたものと同じ、あいつの声。
朝あんな夢を見たから遂に幻聴まで聞こえだしたのだろうか…。
不吉だ、と聞こえなかったことにしてそのまま歩いていると不意に肩を掴まれた。


「え…っ」
「ひなた、だよな?」


振り向かされた先にいたのは、


「秦(しん)っ?」


最悪な朝となった元凶。
やはりあの夢は何かの暗示だったのか!






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