第一章 お姫さまの誘拐事件[3]
「ぅ…ん………ん?」
「どこだ、ここ……」
目が覚めたら、知らない家にいました。
パチパチと目を瞬いて焦点を合わせるとベッドから起きあがる。
部屋の中はまっ暗で、窓からは微かな月の光が差し込んでいた。
目は覚めたものの、なぜか頭がぼんやりする。
理解できないこの状況で思うことはたくさんあるのに、思考がまとまらない。
とりあえず、
「ここはどこ」
この一言に尽きるだろう。
「一ノ宮家の別邸ですよ」
「…へ…?」
まさか答えが返ってくるとは予想もしていなかったので、おかしな声をあげてしまった。
「おはようございます、姫乃侑妃さん」
「…だれ」
声からして若い男だろう。
唯一の灯りが月の光というこの部屋では男の顔を窺うことはできない。
それに加えて未だにぼんやりとしている頭が思考を妨げる。
ギシッ…というベッドの沈む音で我に返った。
すぐ側で男の声が聞こえる。
「私は一ノ宮燎。燎と呼んでくださって結構ですよ」
何となくだけれど、男が微笑むのがわかった。
+ + +
"一ノ宮"
その名には聞き覚えがある。というか、その名を知らない人はいないんじゃないだろうか。
一ノ宮グループと言えば幅広い分野でその名を轟かせ、日本だけでなく海外にも多くの子会社を持つ大企業である。
と言うことは、つまり、一ノ宮燎は一ノ宮グループの人間・・!?
「何の目的で、私をここに連れてきたんですか」
猫をかぶるのは得意。だから普段使わないような言葉遣いだってお手の物。
部屋の明かりを点けてこちらへと戻ってくる男を侑妃はジッと見つめた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。別にお金が目的ではありませんから」
そう言いながら男は再びベッドに腰掛けた。
ニコニコと人好きのする笑みがその顔には浮かんでいる。
端整な顔だちに、作られたような微笑み。
笑っているはずなのに、本心からの笑みではないような気がして、なぜか心がざわついた。
「じゃあ、なぜ?」
「――…さて、なぜでしょう」
切なそうな瞳が侑妃へとむけられる。
その瞬間、ドクンと心臓が音を立てた。
『わらってよ、ゆうひ』
男の切ない瞳がいつかの記憶とだぶる。
あのとき、あの人は泣いていた…――
「侑妃?」
「…ッ…」
また、意識が飛んでいた。
目の前の男が心配そうな色を浮かばせながらこちらをうかがっている。
「あ、何でもないです…って今名前呼びました?」
「?呼びましたよ?」
質問の意味がわからないのか、男は不思議そうに首を傾げた。
「そうじゃなくて、下の名前。しかも呼び捨てで」
「あぁ」
「あぁ…ってあなたねぇ……」
「別に気にするほどのことではないと思いますが…?それに、あなたは私の婚約者なんですから」
呼び捨てで呼んだって構わないでしょう?
「……へっ…?」
今の自分はかなり間抜けな表情をしているに違いない。
けれど今はそんなことを気にしている場合ではない。
自分の耳が正しければ、今奴は
「こんやく、しゃ……?」
確かにそう言ったはず。
奴も爽やかな笑顔で頷いているところからすると、自分の耳が可笑しくなったわけではなさそうだ。
って、こんなに冷静に状況を把握している場合じゃなかった…。
婚約者=フィアンセ。
つまり結婚の約束を交わしたということになる。
俺が、この男と…?
「…うそ……」
――姫乃侑妃、18歳。婚約者有り―――
って婚約者なんかいるかー!!!
波瀾万丈生活の幕開け
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